昨日の私と今日の私 テセウスの船のパラドックス

川がある。

昨日ある地点を構成していた水は、下流へ流れてしまっている。

今、その地点には別の水が流れている。

しかし、それは同じ川と認識される。

 

故郷に帰り「変わっていない」と懐かしむ人がいた。

しかし、その街に住む人は変わっている。

野原の草木も虫らも、多くが別の個体になっている。

 

これは私達の中でも起きている。

毎分たくさんの細胞が死滅して、再生している。

遺伝子は変質することがあるらしい。

昨日と、細胞も遺伝子もわずかに違う私。それは私と言えるのかな。

10年後の私は、ほぼ別人の私ってこと?

しかし経験と記憶はたしかに保有し蓄積している…気がする。

 

私を細かくきざんでいっても、「これが私」という核のようなものはない。

「これが私」とは言えない小さな細胞がたくさん集まって、私になっている。

どの部位がどのくらい集まった時点で「私」になったといえるのか?

 

世界も私たちも常に移ろい変化している。

私たちも世界の一部なのだから、つまり世界は変化し続けているということか。

世界がどうなっているのか、100万年くらい未来を見てみたい。