たんぽぽの種はどこにでも落ちる。
アスファルトの上にも川の上にも。どこにでも落ちるからこそ、土に落ち花を咲かせることができる。
トンボはあらゆる水場に産卵をする。
すぐ枯れてしまう水たまりにも産卵する。どこにでも産卵するからこそ、川にたどり着く者があらわれる。産卵に成功できる者があらわれる。
この例のように、たんぽぽもトンボも、たくさんの失敗があるからこそ、命を繋ぐことに成功するのではないか、と思うのです。
人のケースで考えてみる。
賢者ではないもの、子孫を残せないもの、経済的貧困者などの人達がいるからこそ、科学的、経済的、種族的な進歩という現象があらわれるのではないか。
敗北者と言われる人達がいなければ、成功者はあらわれない。
つまり失敗する人達がいなければ人類の進歩はないのではないか、と思うのです。
社会は、何らかの成功者をヒーローと称え、貧しい者たちを努力不足の無能と単純化してさげすむ傾向がある。
しかし、多様性があるからこそ進歩できるという観点からみると、それは間違った考え方だと思うのです。
もう少しだけ世界を俯瞰してみる。
いま存在する生物は、自然淘汰に耐えた種族だけだ。
しかし、過去の環境変化がわずかに違っていたら、今とは違う生態系だったと思わる。
そう考えると、今生きている種族だけが勝者ではなく、この多様性こそが勝者なのだ。
絶滅していった種族も含めて、全ての生命が勝者なのではないかと思うのです。
もし、自分に何らかの成功があったとしても、「俺もまんざらじゃないな」くらいで満足して、説教したり威張ったりしないほうがいい。
運の良さを感謝しておきたい。
大変な人、失敗した人を見下してはならない。
私たちは多様性があってはじめて存在できている、この世の現象なのだから。